我慢の対価は、お金なのか。

我慢の対価は、お金なのか。

自分が珍しく上の人から怒られました。

要は気が利かないということで、課長とかがある話をするからと言っていたのだから、そういうのはお前が把握しておくべき。すぐ集まれるようにしておくべきということでした。

また、上の人が準備してるんだからお前も来いよというものでした。ここに関してはサボってたわけでなく、自分はやるべきことをやっていましたけど。。。

ま、別になぜ自分がこういう行動をしたのかというのは、そもそも念頭に自分でやれることはやるという考えがあるからです。

その課長なんて、自分で飲んだコップ片付けず帰りますからね。そして当たり前のように誰かが片付けてるんです。

自分は例え上になってもそういうのには否定的ですね。

あと、思ったのがこうやってあげたい!って思えるような人間たちではないということでしょうか。

上記の自分の事もやれない人間なんで、そう感じてるのかもしれませんね。

我慢も仕事のうちなのか?いや、違います。

そんな話はともかく、その怒られていたときに自分の考えが見透かされたように「やりたいことではないなんて言わせないから」、「お前仕事だからな!」と言われました。

その時思ったんですよね、その人の頭の中にある、お金もらっているのだからやりたくないことでも我慢するのが当然!という構図が。

うーん、自分は違うと思います。お金っていうのはありがとうの対価だと思ってます。いいサービスや商品を提供して、ユーザーがいいなぁと思ってくれるから継続して利用してくれる。

だから、対価としてお金が得られるのです。

仮にお金は我慢の対価であるとすると、そんな状況ではいいサービスなんて提供できるのでしょうか。また、お金が我慢料であるのだから、無駄に何もしてないのに残業して稼いだりする人も多いのだとか。

これは日本の労働時間が長いのに、世界と比べて生産性が低いというのにも合致します。そりゃ、何もしてないんだもん、生産できてるはずがありません。

あぁ、未だにこんなことを頭に刷り込まれている人間もいるのだなと実感した次第です。これではまだまだ日本の未来は暗そうですな。

自分はこの日本の洗脳されないよう、自分を貫いて今年中には退職すると決意しました。叱ってくれるひとはめちゃめちゃ自分に気をかけてくれているひとですが、自分の考えとは合致しないようです。